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♯03 農法の鬼門「認証問題」

 同じサッカーというスポーツでも様々な戦術があるように、農業の世界でも、同じ作物生産とは言え方法には様々なものが存在します。広くは焼畑農業や有機農業といったものから、近年注目が集まる環境保全型農業の中では一番有名なのが有機農業、あるいは自然農、自然栽培、炭素循環農法、ひいては個人名を冠する○○式農業など他にも多くの農法があります。

 農業の世界で「どの農法が良いか」という話は尽きることがなく、作物生産の効率や環境保全、味など、観点によって「良さ」が変わるのが当然なのですが、そもそも私の個人的な意見をずばり言いますと、厳密な意味での農法の定義は不可能だと思っています。なぜなら、農地は一つとして同じものが存在せず、土壌は母材から有機物含量から化学性まで大きく違い、まったく同じ農法で同じ作物を栽培したとしても、農地によって結果は違ってくるからです。この点は、溶液や環境条件を完全制御できる植物工場とは大きく違う点です。

 例えば自然農や自然栽培といった無肥料を軸とする農法では、一体どこで無肥料のラインを引くかが問題となります。つまり農地としてはまったく利用されていなかった森や山の一部を開墾して始めるのが無肥料になるのか(そうすると一般の無肥料栽培はほぼこの定義から漏れることになります)、一般栽培や有機栽培を行われていた農地でも3年無肥料で栽培すればそこは無肥料農地になるのか、あるいは5年なのか、あるいは土壌の養分含量がある一定以下なら無肥料農地となるのか。ここは大変やっかいな問題です。仮に、「3年間その農地に何の外部資材を投入しないこと」を無肥料栽培の定義にしたとします。しかし3年前に大量の堆肥や化成肥料を投入しており、3年間の栽培でも土壌の養分量が著しく高かったら?それは、果たして4年目から堂々と無肥料栽培と言えるのか、は大いに疑問です。これは農法の問題に限りませんが、複雑な世界をボーダーによって単純化した途端に、矛盾はある程度生じてしまうものなのです。

 とは言え、そのような小さな矛盾が気になる私は別にして、農業の世界では農法というものが定義されることが普通です。多くの消費者は農法や農地の複雑性についてはよく知らないので、例えば「有機栽培」と書いていれば安全な感じがする、ことが購買意欲の点でとても重要です。これが、認証の最大効用です。逆に認証がないと、いくら正確な情報が記載されていたとしても消費者はよく分からないなと感じて買うことを避ける可能性が大きいのです。

 日本では、有機JASという認証制度が一般的で、平成18年に法律が制定されており明確な定義が存在しています。↓

http://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/yuuki/pdf/d-1.pdf

しかし前述したように、定義は必ず矛盾を生み、例えばこの法律では投入堆肥量の規制がないので、どれだけ多くの堆肥を投入しても有機農業に含まれることになります。また、有機農業の定義では、自然界に存在する生石灰硫酸銅で作製するボルドー液も使用が認められている資材ですが、同時に劇物でもあるため扱いには注意が必要な強力な薬剤でもあります。

 海外にも様々な認証機関があり、現在の私の見立てでは欧米の認証システムは日本に比べるとかなり進んでいる印象です。彼等はシステムを作ることに長けているのでは、と思いますが、この辺りは実際に足を運んで見に行きたい所です。近年注目されているグローバルGAP(農業生産工程管理)については今後よく検討してから書こうと思っています。

 何はともあれ、日本には有機農業という大きな定義の農法以外にも、様々な魅力あるマイノリティな農法があるのですが、これらが生産量や流通量を大きくする過程で必ず「認証をどうするのか?」という問題に突き当たります。シンプルには、基準を下げれば質を保てず、基準を上げれば量を保てなくなったりする訳ですが、それ以外にも各農法の良さが消えてしまうこともしばしばです。それぞれの農法の良さを認識しつつ、持続可能な形での認証を徐々に築きあげてゆく必要があるのです。