おコメ博士の闇米日記

オワコンと言われがちな日本のおコメ。令和のこの時代に、グローバル視点で日本でおコメを作る意味を考えます

ザ・下剋上!北海道のおコメの歴史

さて、この写真の立派な感じのおじさんは誰でしょう。

中山久蔵

名は、中山久蔵さん。

明治6年に、品種「赤毛」で北海道初の水稲生産に成功した人です(厳密には一定量の収穫に成功した初めての人)。

写真はしっかりした人に見えますが、当時はこんな寒い所でおコメなんで絶対無理と言われていた時代。

風呂の湯を何度も苗代にいれて苗を育てていたとのこと、周囲からはきっと変人扱いされていたに違いありません。

中山久三さんのお陰で産声をあげた北海道のお米はその後、品種改良が進められ、1961年にはなんと新潟県を抜きコメの作付面積が日本一に。

それだけでも充分下剋上になってますが、時はコメ余りの時代。

需要のないコメは作ってもしょうがない時代に突入していました。

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当時の北海道のおコメの評判はどうだったかというと、最悪。

鳥も食べない「鳥マタギ米」と揶揄されてました。(ひどい・・・)

「だって寒いんだからしょうがないじゃん!」

と開き直らない所が北海道の偉いトコロ。

上川農業試験場が美味しいおコメの品種育成に着手します。

そして1988年、きらら397が登場し、美味しくない北海道米のイメージが一新されることに。

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その後、2001年にななつぼし、2012年にゆめぴりかが発売。

近年では特Aに北海道産米が軒並みランクインという状態が普通になっています。

いやぁ、、、下剋上

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そして近年の大規模化やスマート化なのど効率化によって一番メリットがあるのはスケールの大きい北海道。

下剋上の歴史は終わり、美味しいお米の横綱相撲の歴史が始まっている訳です。

ただ、台風被害のように、異常気象で受ける被害が大きいのも大規模農業なので、この点は一つ不安要素かもしれません。毎年台風で大損害だと、北海道とは言え苦しいですからね。