おコメ博士の闇米日記

オワコンと言われがちな日本のおコメ。令和のこの時代に、グローバル視点で日本でおコメを作る意味を考えます

「闘うもやし」の読書感想

「闘うもやし ―食のグローバリズムに敢然と立ち向かうある生産者の奮闘記ー」(講談社:2016年)という本を読みましたので紹介。

闘うもやし 食のグローバリズムに敢然と立ち向かうある生産者の奮闘記

闘うもやし 食のグローバリズムに敢然と立ち向かうある生産者の奮闘記

 

 自分はもやしのことについて何も知らなかったと思い知らせてくれる本。常に過酷な現実に立ち向かってきた著者であり生産者の飯島雅俊さんは、まさに闘うもやし闘っているもやしです。

 職人タイプの人に感じることが多いのですが、日々感じていること、考えていることの密度が濃いので、世間一般に生きている人とは違う、言葉の重みを感じます。感触としては、「熊撃ち」に通ずるものを感じました。「熊撃ち」も凄い本です。

羆撃ち (小学館文庫)

羆撃ち (小学館文庫)

 

 恥ずかしながら、そもそも知らなかったのは、もやしに三つの種類があるってこと。

 著者による説明では、現在日本で流通しているもやしは主に以下の三つ。

緑豆もやし:最も広く知られている、軸が太めのもやし。

ブラックマッペもやし:細く、根が長く、味が濃厚なもやし。飯島商店で取り扱い。

大豆もやし:大豆がしっかりと残り、細く、根が長い。これも飯島商店で取り扱い。

 私が食べたことがあるのは、①の緑豆もやしのみ。恐らくほとんどの人がそうでしょう。大手企業の論理で作られ、特売で一袋9円なんて値段が成立してしまうことも。スーパーで売られているもやししか知らないから、本当のもやしがあるとは露知らず。

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(これが最もよく知られている①緑豆もやし。②③は著作権フリー画像みつからず。それくらいマイナーであるということ)

 

 飯島さんが、スーパーとの契約打ち切りや度重なる経済的困難にもめげず、信念をもってまっとうなもやしを作ることに心血を注ぎ続けていること。そして、その姿勢によって色んな仲間が増えていったこと。が飯島さんの言葉で語られています。特に、最後の方で「かつて自分はゲス野郎」だったとカミングアウトする下りは、今の飯島さんの精神的な充実を意味していると思いました。(告白ができるのは恐れがない証拠だと思うので)

 

 また、個人のサクセスストーリーということだけではなく、これからの日本農業のありようについて、重要な示唆と思える点がいくつもありました。例えばこの部分。

いま俺は、そのころの三倍広いもやし栽培施設をほぼ一人で管理している。多少機械化されたり、道具が便利になってはいる。それでももやし栽培、もやしの収穫においてやっていることはあまり変わっていない。つねにもやしを注意深く見ながら育て、もやしのために必要とあれば労力を惜しまない。その姿勢を崩さない。もやしを洗うのもほぼ手洗いだし、洗ったもやしを水槽から引っ張り揚げて、手で詰めるのも、昔と同じだ。いちじはけっこう機械化をすすめた時代もあったが、紆余曲折、考えたあげくそのスタイルに戻っている。 

 新聞やニュースを見ると、「〇〇をAI化」とか「〇〇をICTで効率化」という見出しをよく見かけるようになりました。 AIだろうとICTだろうと何でも構いませんが、問題はなにを効率化するのかということ。そして、その効率化のコストが長期的に結果に見合うかどうか。

 「新しい機械を導入した!」というのは一見気分もいいし効率化したような気になりがちですが、コストをかけることは、その分回収しなくてはいけないハードルが上がる訳で、リスクでもある。それよりも「つねにもやしを注意深く見る」技術にエネルギーを注いだ方が、作物は本物に近づくし、技術は長期的な資産だと思うのです。

 更に、こんな部分も。

 このもやしが衝撃的においしい理由がわかったような気がした。エチレンをまったく使わないで、もやし自身の力だけで育った「ありのまま」のもやし。このもやし屋さんは、 それでよしとしている。多少室温が高くなろうが低くなろうがたいして気にしない。この温暖な鹿児島ならば、もやしはボイラーなどによる温暖調整すらなくても育つのだ。

 これこそ、「もやしのあるべき姿」であり、俺が求めているもやしなのだと確信した。

 飯島さんが持っている重要な視点は、この文に表れていると思う。そう、それは「もやしのあるべき姿」を追い求めていること。自分にとって必要なもやしではなく、もやしを主体として考えていること。これは、奇跡のリンゴの木村秋則さんが自分の仕事を、リンゴの手伝い業と語る視点とまったく同じように思います。 

  何が本物で、何が偽物か。プロが見れば分かります。ただ、一般の消費者はなかなか分からない。消費者の啓蒙を通じて本物のみる目を増やすのか。誰かが本物の基準を決めて、認証制度を作るのか。このあたりは、どちらも一長一短。インチキな人が増えてくれば、プロに見せかけたインチキも湧いてきてしまうしな・・・。

 と、そんなこんなを考えるきっかけになった本でした。