浜田先輩から学ぶ。この際だから国際標準を意識しようという話
昨日ダウンタウンの浜ちゃんがイギリスのBBCデビューした話を書きました。
そしたら今度はアメリカのニューヨークタイムスデビュー!
顔写真もバッチリ決まってます。
Mr.Hamada (笑)
芸人さんの世界からしたら盛り上がってることでしょう。
学校で男子学生には怖めで通っている先輩が、女子達に追求をくらってるノリで。
「いやいや、違うって!」と必死に弁明する浜ちゃんを、教室後ろから男子学生がニヤニヤ見ている光景が目に浮かんできます。
しかも浜ちゃんはスタッフが用意したメイクをしただけですからね・・・。
さて、男子集団の中だと問題なかったことが、女子もいる集団ではアウトになるってことと同じように、
日本国内の文脈だと問題なかったことが、世界の舞台にさらされた時アウトになるってケースは結構あります。
例えば捕鯨問題。
細かいことは省きますが、要は日本の文脈だと捕鯨は文化だし問題ないが、世界の舞台にさらされた時「不要な殺戮だ!かわいそう!」とアウトと感じる人が結構いる訳です。
江戸っ子的には「なんでぇクジラだけ特別なんだこのやろう!ばかやろう!」って話だけども、国際社会的に一定のクレームが多ければ報道されるし政治的には追求される。
デメリットはあっても、メリットはない訳です。
日本国内と国際的な価値観に大きなズレがあると、「国際社会なんて関係ねぇさ、俺たちは俺たちだ」という態度をとりたくなってくるものですが、
グローバル社会だと中々そういう態度を許してくれない。
とりわけ、水産資源のような世界共通の資源となると、みんなで規制を作ったりするわけで、一人だけ抜け駆け、ましてや先進国の日本だけ抜け駆けは厳しい訳ですね。
水産業界あるあるですが、ごまかそうとして、一層批判を浴びたりしてます。
ところで、私の専門の農業界も例外ではありません。
農業界は、海という共通の資源をとりあっている水産業界に比べると、共通資源を使ってる意識は薄いですが、水や大気といったものは実は共有資源です。
だから水が必要以上に汚れたり、大気中の特定の気体の割合が変化すると、農業や生活に影響が出てくる訳で、これもまた「いかんよね」ということで規制がある訳です。
いわゆる環境問題や温暖化問題です。
最近だと、農業における一定の基準、グローバルGAPという認証が国際標準であり、日本国内でも知名度を上げてきています。
というのも、2020年のオリンピックで選手たちに提供する食事は、当然国際標準以上のものじゃないといけないよねって話ですが、日本国内では国際標準の規格を実装していなかったので、食材たりねぇ!ってことになってる訳です。
グローバルギャップは欧米で作られた基準なので、国内目線でいうと土壌性質も気候帯も違うしその基準どうなのよ?という意見がなくもないのですが、かといって日本独自の基準もないのです(JAS有機はあるが規制がゆるい)。
日本と世界の間にあるこのギャップ(まさにグローバルギャップ)は、グローバル化が進んだ現代社会では、あらゆる産業で顕在化しつつあります。
ということで、なんでもかんでも国際標準を実装すればいい訳ではないとは思いますが、少なくとも国際社会は日本が国際標準に達しているかしていないかで見る、ことは事実なので、意識は必要かと思います。
その上で、独自の基準をもってます、とか、こうこうこういう理由で私達はこうしてるんですよ、っていう説明の準備をしておくだけでも、ダメージはだいぶ違ってくると思うのです。
浜ちゃんBBCデビューに続き、ニューヨークタイムスデビュー問題からそんなことを考えた今日この頃でした。