おコメ博士の闇米日記

オワコンと言われがちな日本のおコメ。令和のこの時代に、グローバル視点で日本でおコメを作る意味を考えます

農業における多様性の意味 ーすべてはグラデーションであるー

私が生まれたのは食べることを良しとする家庭でした。

子供時分は朝昼晩の食事を欠かしたことはほぼないし、風邪をひけば食べてよく眠れば治ると信じる主義の下、たまに回転寿司に行けば皿を積み重ねる程に「おぉ~よく食べるね、いいぞ」と誉められました。

子供は自分の家庭内の文化を世界中の人も行ってると信じて疑わないものですよね。

だから、世の中には食べない人がいる、ということに私はとても驚いた訳です。

news.yahoo.co.jp

俳優の榎木孝明さんがその食への考え方を表明したことで不食を知りました。

だって、私の感覚だと不思議ですからね。そんなこと有り得るの?と。

食べない人たち (「不食」が人を健康にする)

食べない人たち (「不食」が人を健康にする)

 

立ち読み程度にこの本は読みましたが、かといって「納得!」という程もう純真無垢でもない。

食べることが大好きだから、不食の人になろうとも思わない。

けれど、人体の不思議として、仕組みは分からないけどそんなことも有り得るのかもしれない、と自分の想像のキャパが広がったことは新鮮でした。

また、不食人とは言え、水と飴玉は食べる、青汁一杯だけは飲む、といったように、色々なケースがあることも面白いことです。

不食の人!と聞くとセンセーショナルに聞こえるが、実際にはまったく食べない人からたくさん食べる人までのグラデーションの世界だと思うのです。

こんなグラフのようにですね。

「正規分布」の画像検索結果

青い部分は常識的な量を食べる人が属する部分。

そしてオレンジの部分が、非常識的な量を食べる人が属する部分。

青の真ん中部分にいる人からすると、オレンジの人が奇人変人に見えますが、このグラフのように客観的にみれば、すべては程度の差でしかないことが分かります。

尋常じゃない量を食べて消火できる人の内臓機能も神秘だし、まったく食べないでエネルギー源を獲得できている人も神秘です。

 

さて、ではここから農業の話。

農業でも、まったく入れない農業とたくさん入れる農業まで、多くのスタイルがある訳です。

入れる、というのはここでは肥料のこと。

不食と同じように、まったく肥料を入れないで作物が収穫できる、というのは普通の農家の人達からするとよく分からない。

まったく栄養分を投入しないで作物がエネルギー源を獲得できているのは一見不思議に思える訳です。

無施肥無農薬栽培 - Wikipedia

 

不食にせよ、無肥料栽培にせよ、マイノリティに違いありませんし、飽食や飽肥料の時代には変わり者でしかありません。

ただ、時代が食糧難や枯渇肥料の時代には、その方法の価値、メカニズムを探求する価値は相対的に上がってきます。

つまり、未来がどんな時代になるか想定が難しい場合(いつの時代でもそうなのですが)、多様性ということが非常に重要になります。

多様な引き出しを持っていることが、不測の事態により迅速に対応し得る方法、と考えると、変わり者を変わり者だと糾弾するより、変わり者すらも包摂する社会の方が豊かな気がしています。

という訳で、農業にも多様性は重要だよね、と考えた今日この頃でした。