おコメ博士の闇米日記

オワコンと言われがちな日本のおコメ。令和のこの時代に、グローバル視点で日本でおコメを作る意味を考えます

スイス政府がロブスターを茹でることを禁じたので正義が分からなくなってきた話

アメリカの哲学者にジョン・ロールズという人がいて、1971年に『正義論』という本を書いています。

正義論

正義論

 

本のタイトルそのままに、「正義とは何か?そもそも正義とは存在し得るのか?」を考えた有名なお堅い本ですが、正義の基準として、想像力をベースにした次のような問いによってルールは作られるべきとも主張しています。

すなわち、

「俺がお前でも耐えられるのか?お前が俺でも耐えられるのか?」

という自問自答こそが基準になる、と―――

例えばロールズは広島・長崎への原爆投下を道徳的悪行と非難していますが、これはつまり、自分がもし日本人だったら耐えられない、という基準で悪と認定している訳です。対照的にアメリカでは原爆投下を未だに支持している人が多いですが、それは自分がもし日本人だったら、という想像力は湧いていない、ということだと言えます。当時は日本もアメリカを鬼畜米英と思っていたように、アメリカは日本を化け物のように捉えていましたからね。

 

さてさて、では農業について。

戦争という過酷な状況下のみならず、どんな時でも運営されている農業には、一見「正義」の概念はないように見えます。まったく意識していない人も多いでしょう。

しかし、外国(特に欧州)における農業の事例に触れると、農業における正義についても自然と意識するようになります。日本では馴染みがないですが、キリスト教の影響が強い欧州では「善く生きる」ことが人生のテーマとして深く根付いているからでしょう。農業においても、善い農業がテーマとして導入されています。

その最も分かりやすい例がアニマルウェルフェア

 アニマルウェルフェアの定義:快適性に配慮した家畜の飼養管理(畜産技術協会においては)

つまり昔の感覚だと、動物は下等で、人間が支配する所有物だから、どう扱ってもいいという感覚が強かったのでしょうが、最近では動物だって同じ生き物なのだからどう扱ってもいい訳じゃないだろ、という感覚が強くなってきている訳です。 

例を出すと、我々が大好きなケンタッキーフライドチキンは、ブロイラーと呼ばれる品種の鶏の肉ですが、その生産過程はとてもチキンに感情移入しているとは思えない、モノとして捉えるドライな工場の生産過程な訳です。

結論からすれば殺すんだから、最も商業的利益が出る形で扱おうぜ、という価値観。


DOCS: The Colonel's Chicken - Inside KFC The Billion Dollar Chicken Shop #1

 

それで、こういう事例に対し「かわいそうだな。」とか「いくらなんでもひどすぎるよ。」と感じる人が増え一定量に達すると、法規制などが出来て社会として方法を制限しよう(なんでもありではなくそうよ)ってことになります。

具体的には、ブロイラーに関しては2013年にOIE(国際獣疫事務局)でブロイラー生産システムの規約が出来ており、鶏の扱い方から飼料、飼育スペースなどかなり細かいルールが出来ました。

これは国際基準になっているので、日本の養鶏産業も対応せざるを得なくなっています。

(アニマルウェルフェアの考え方に対応したブロイラーの飼養管理指針(改訂版))

http://www.maff.go.jp/j/chikusan/sinko/attach/pdf/animal_welfare-3.pdf

 

個人的な感覚をいいますと、

無宗教(クリスマスはやる神棚はある仏壇はある)の極普通の一般家庭に育ちケンタッキーもマクドナルドも好きな少年として育った私としては、思春期にある日突然正義感が目覚めて「こんなものは悪だ!」と思った訳ではないのですが、ケンタッキーの鶏の生育過程をドキュメンタリー等でみると、「うわっ・・・かわいそうだな」と思うくらいの人の心はあるものです。(あとフォアグラもプロセスもうわっと思いました。)

だから、社会としてはそういう規制があった方が優しい社会になっていいな、とはまぁ普通に思ってはいます。

 

ここでめでたしめでたし、でこの記事を終わりにしたいところですが、先日こんなニュースがあって「うーむ」と思ってしまいました。

www.cnn.co.jp

ロブスターの生きたままの熱湯ぶちこみ禁止!です。

要は、スイスの人はロブスターに感情移入しとる訳なのです。

ロールズの理屈でいえば、「俺がロブスターだったら耐えられない。生きたまま熱湯に入れられるなんて地獄だし、とてもじゃないが耐えられない」ということです。

ただこうなってくると、ロブスターに限らず、魚だって生き物だし、はたまた果物だって小麦だって生きてるんだから感情移入する人がいれば取り扱いに制限が必要になってくるんじゃないの?ということになりかねないとすら思ってきます。

一応、この新法のポイントはロブスターが高度な神経系を所有していて、生きたまま熱湯にぶちこんだら強い苦痛を感じている可能性があるということなので、科学的な基準がある訳なのですが。

人間は自分の肉体サイズに似た牛や馬にはじまり、鶏や海老や蟹にも感情移入していくもんなんですかね・・・

日本人からすると、行き過ぎな感じがするのですが、スイスの人はみんなそんなに慈悲深いんでしょうか。

大方の日本人からすると「それは過剰だろ」と思う人が多いでしょうが、ブロイラーの例でもあったように、国際的な基準になってくれば他人事という訳にもいきません。

いま、日本農業界はグローバルギャップなどの認証農作物を増やそうとバタバタしていますが、それは輸出に際して国際基準が足かせになってくるからです。

環境規制や食品安全規制など、ヨーロッパの動向をみながら日本農業のスタンスを決めていくことは、これからのグローバル社会に不可欠な態度ですね。という訳で、まずは毎日たべる白いお米一粒一粒に感情移入することからはじめましょうかね・・・。