おコメ博士の闇米日記

オワコンと言われがちな日本のおコメ。令和のこの時代に、グローバル視点で日本でおコメを作る意味を考えます

安いコメが安く運ばれる時代に日本はどうする?

今年のセンター試験を解いて以来ひさびさに地理Bにハマりだしていますが、高校時代は全然興味もてなかったことが今になって面白く感じられるので新鮮です。

地理が社会構造に大きく関与しているからなるほど感があるんですよね。

 

さて、地理Bの授業で習う項目の一つに交通があります。

世界中のヒトやモノを運ぶ交通には、①自動車②鉄道③船舶④航空機がありますが、それぞれの交通機関には長所と短所があるので、共存できています。

例えば、長距離性に秀でているのが航空機大量性に秀でているのは船舶利便性に秀でているのは自動車、といったように。

このうち、戦後の世界の物流事情を激変させたものに、スローだけど大量性に秀でている船舶があります。

つまり、コイツです。ドドン!

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(15トンの積載量があるデンマークのコンテナ船:エア・マースク)*1

 

今となっては、世界の荷物があつまる港湾にほとんど人がおらず、大型のクレーンが黙々と大型船にコンテナを運び込む風景がごく当たり前ですが、50年程前はそうではなかったのです。

例えば、マーロンブロンドが出演している1951年の映画に、『ON THE WATERFRONT』(日本語タイトル「波止場」)っていう映画があるんですが、映画の舞台であるニューヨークの港にはコンテナの姿はありません。

その代わり、船と陸の間を行き来してひらすら荷物を運ぶ港湾労働者がたくさんいるのです。

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(映画『波止場』のワンシーン。荷役の仕事にありつこうとする日雇い労働者が溢れている。)

 

しかしその後、コンテナという均一で丈夫な鉄の四角い箱が発明されたお陰で、こまごまとした港湾にある人間たちの勢力争いも非効率さも盗難といったアクシデントも(きっと情に満ちた人間関係も)すべて取っ払われ、無機的なシステムが港湾に君臨するようになります。

その結果、コンテナが発明された1950年中頃から1980年中期までにアジア・北アメリカ間の船積商品のコストは半分以下になり、今も輸送コストは低下を続けています。

なんでも、中国で作られた衣類がヨーロッパのお客に届くまでの輸送コストは、シャツ1枚当たり1.2円以下というくらい。

コンテナの発明によって、もともと船舶が持っていた大量性が押し広げられ、さらに世界各国の港湾が大型コンテナ船に整備されたことで、世界の物流事情は輸送コストを考える必要がないほどに激変した訳です。

プロセスの詳細はビルゲイツもお勧めしているこの本で↘

コンテナ物語

コンテナ物語

 

ちなみに今も続々巨大なコンテナ船が製造されていて、2017年時点では中国籍のOOCL HONG KONGが21万トンの積載量をもち、世界最大のようです。

いやはや、中国おそるべし。


Worlds Largest Container Ship OOCL HONG KONG, Maidens At Felixstowe UK-Up Close Drone Footage!

ということで、このブログでは日本農業を相対化するために、

アメリカのコメ作りは低コストだよ、とか

mroneofthem.hatenablog.com

 中国のコメ作りも低コストだよ、

mroneofthem.hatenablog.com

といったことを紹介してきましたが、

1)コメが海外で低コストで作られている

ことに加えて

2)コメの国際的な輸送費も無視できるくらい低コストになった

ので、技術上は高コストなコメ作りをやっている国が、国内の稲作を保護する理由が失われた、と言えます。

もちろん、安全保障上の問題やその国の文化を守るといった側面では保護する理由がある訳ですけどね。だから日本は現時点で778%の高関税をコメにかけています。

ただ、輸送費は船舶の燃料である原油が高騰しない限り上がらないはずなので、日本稲作としては輸送費の低コスト化でなおさらグローバル化の圧力に押され続けることは間違いがないことだと思っています。

 

(2018/01/26追記)

最近だとこんなのまででてきて物流の無人化はとどまるところをしりません。

gigazine.net