おコメ博士の闇米日記

オワコンと言われがちな日本のおコメ。令和のこの時代に、グローバル視点で日本でおコメを作る意味を考えます

農学博士の僕が自然栽培に出会った話

2月に入ってキリがいいので、個人的なことをダラダラと書いていこうと思います。

 

≪農業には色々あるが・・・≫

私が専門とする農業は、基本的に「土から食べ物を作る」というシンプルな仕事(溶液栽培など除く)ですけど、その方法にはめちゃくちゃ種類がある訳です。例えば自然農、自然栽培、炭素循環農法、バイオダイナミック農法、永田農法、などなど・・・。ま、一番有名なのは有機農法ですよね。で、マックスバリューとかの一般的なスーパーで売ってる野菜や果物は、ほとんどが化学肥料や化学農薬を使う一般的な農業であまりにマジョリティなので、特に農法の名前はついていません。慣行農法と、言ったりもします。

どの農法がよいのか、とか、よくわかんないですよね。私も昔そうでした。

でもその後色々と経緯があって、「自分が農業やるならこれだな」っていうこだわりが出来てきました。

 

≪私は「自然栽培」推し≫

結論から言って私が推しているのは「自然栽培」なんですけど、かといって他の方法を否定している訳ではなくて、これまでの限られた自分の経験や知識の中で相対的に選ぶなら「自然栽培の考え方」がいいな、というスタンスです。

「自然栽培がいいな」ではなくて「自然栽培の考え方がいいな」にしときたいのは、農法の定義がめちゃくちゃややこしいからです。実際、自然栽培の法的な定義は未だないですし、定義するとしても色々むずかしいし厳密な意味では矛盾が出たりします。

例えば有機農業でも、法律による定義があるのですが、EUと日本では基準が違ったり、同じ国内でも団体によって定義が違うってことがよくあります。

なので厳密な正しさを求めると、抽象的になってしまうのですよ。

ま、そのあたりの農業界の複雑な事情は置いといて・・・

 

≪「自然栽培」への偶然の入り口≫

それで、なんで「自然栽培」に関心をもったかなんですが、これには偶然の人との出会いがありました。

まず、私は茨城の大学に学生としていた頃、コメの研究でいい感じのウェーブに乗っていました。つくばの研究所で共同研究をさせてもらったり、ネイチャージェネティクスという国際的にハイクラスな科学雑誌に論文のせてる研究者に指導してもらったり、国際学会で英語で発表し賞をとったりと、かなり順調だった訳です。

で、そんな時に所属していた有機農業サークル(これまた農学部らしいサークルですが笑)の知人に誘われて、町おこしの企画に参加することに。

それが「自然栽培による耕作放棄地の再生」だった訳です。

このタイトルだけじゃ行く気にはならなかったんですが、気が変わったのは「奇跡のリンゴの木村さんが指導にくる」ということ。

当時「奇跡のリンゴ」の本は読んで感動していた一人だったので、軽いミーハー気分だったかもしれません。

それで、木村さんに会って、自然栽培に出会った訳です。

 

≪これが本物か≫

「本物だな」と思いました。

元々のひねくれた性格もあり、理系という属性もあり、農学をふつうに学んできた農学部生としての立場もあって、「UFOに乗ったことがある」という木村さんに当初はなんらかの警戒感はもっていました。が、それは一年間木村さんの指導を受け、実際の稲の生育を観察することでほぼ解消されることになります。(疑り深いので、「ほぼ」です。笑)

「なんだ肥料をやらなくてもこんだけ立派に稲って育つんじゃん!」

と思った訳です。

ところが、その1年間一緒に活動に参加した農学部の先生や学生たちの中からは、「といっても、1年できただけじゃ持続可能な農業として評価できない」とか「外部から養分を入れていないのに獲れるメカニズムが分からない」とか「違う水田から肥料が流れ込んできてるんじゃないか?」とか、そういった声が結構でていました。

間違ったことは言っていないと思う(農学部で学んできた教科書の知識ではそう解釈せざるを得ない)のですが、なんとも「うーん」という感触を覚えました。

その反応が、純粋な疑問や懸念というよりも、農学の体系からはみ出ている異物に対しての反発作用のように思えたからです。

シンプルにいって、私からすると教科書的なことをよく知ってる人よりも、現場で実証してみせた人の方が相対的に信用できました。木村さんのたたずまいから感じた「凄さ」は、その感触を更に確かなものにしました。

 

≪面白い方に進もう≫

当時の私の状況は「学生としてはかなり恵まれた環境であるつくばの研究所で研究に没頭し、サークル活動で自然栽培に関わっていた」でした。

行っていた研究も、コシヒカリの遺伝子の一部だけを野生イネの遺伝子に入れ替え、高温ストレスに強いイネを作り、そのメカニズムを解明する、といったかなり先端的な研究で注目度もそれなりにありました。(自然栽培との対比が面白いですよね。笑)

そのまま同じ研究テーマを続ければ論文も何個か発表でき、キャリアにもつながるよと先輩研究者からは言われていましたが、私としては自然栽培に大きく惹かれ始めていました。

だって、肥料や農薬をつかわないで農業やるって、すごくないですか?

当時まわりの友達は「いやすごいよねー」くらいは言ってましたが、同じスゴイでも、私の場合はもっと熱い「すごいよね!」だった訳です。

その点、当時やっていた研究は面白くはあったのですが、更に三年間(博士号とるためには更に三年が必要だった)情熱を注げるか、と言われると怪しかったのです。また、研究業界の一端も見始めていたので、そこでのキャリアにそこまで盲目的になれなかったこともあります。

どうせ先行きの見えない将来なら、面白い方に。

で、結論からいって、私は自然栽培を研究するために、それまでやってきた遺伝子機能の解析の研究をやめて、自然栽培研究の第一人者である杉山修一教授がいる弘前大学に行くことになるのでした。