おコメ博士の闇米日記

オワコンと言われがちな日本のおコメ。令和のこの時代に、グローバル視点で日本でおコメを作る意味を考えます

「自然栽培しばりで博士論文」という無謀な挑戦

前回、私が「自然栽培」に深入りするようになったきっかけを書きました。

mroneofthem.hatenablog.com

 

≪出発前夜≫

「自然栽培」に出会った頃、私は大学院の修士課程二年生だったので、自然栽培をテーマに研究をするとなると、今やっている修士課程のテーマを終えてから、博士課程3年間で新しいテーマとして取り組む、ことが定石でした。

定石といっても、他の学生たちと違ってテーマを刷新することになるので、大きなハンディキャップを背負うことにはなるのですが、そういう新しいゲームに取り組むことが楽しくもあり、また密かな自信も持っていました。いわゆる下馬評では圧倒的不利な弱小チームが強敵を倒すジャイアントキリングのワクワク感のようなものです。

とはいえ、冷静になって考えると、3年間というのは農業研究の世界では長いようで短く(例えば稲だと1年に1回しか栽培できないから計3回しか出来ない)、またテーマが「自然栽培」というとりとめのないものですから、当時親身になって話を聞いてくれた大学教員の先生たちからもずいぶん心配されました。

何年も博士過程を卒業できない人の哀れな話や教員と対立して学校に来なくなった人の悲しい話など、脅しにも聞こえる色んな事例を聞いていると、さすがに「そんなに厳しいのかな」という風にも思ってきて、真面目に博士論文をどう計画するかを考えるようになりました。

お世話になっていた優秀な研究者の人には、よく「研究のよしあしは計画のよしあしで7割きまる。だからリソースも計画に7割さけ」と言われてきたからです。

 

≪テーマをなにに絞る?≫

「計画は大事だ」ということは分かっていながらも、当時フィリピンにある国際稲研究所(IRRI)に短期留学したりと他のことも結構いそがしく、多忙のままに日々を過ごしていましたが、新しい指導教官の杉山教授のサポートもあって最低限のフォーカスだけを決めました。

まず、「自然栽培」では

1)自然栽培農作物は健康に良い、とか

2)自然栽培農作物は味が良い、とか

3)自然栽培は環境負荷が小さい、とか

まことしやかな噂はたくさん流れていましたが、どれも科学的に立証されていた訳ではありません。そして、一学生身分のリソースではすべてを解明することも出来ません(するとすれば研究所や大学を横断するプロジェクトチームを作るくらいが必要です)。

なので、

1)一学生の三年間のリソースで解明できそうで、かつ

2)農学と農業界いずれにとっても重要な知見

という観点でテーマを考えました。

大きな風呂敷を広げ過ぎてまとめきれなければ問題ですからね。

その結果、「収量」と「窒素」にテーマを絞って研究を進めることにしました。

 

≪なんで収量と窒素なの?≫

収量にテーマを設定したのは、味や健康だと評価があまりに複雑で三年間で十分な科学的エビデンスを得るのは難しいと判断したからです。

味だと個人の主観的要素が入ってきますし、健康だと長期的なモニタリングなど必要ですからね。あと味や健康は評価するパラメータがとても多いです。

その点、収量っていうのは、ジャジャン1平方メートルから300kgのおコメがとれました!みたいに明確な指標として数値で出る訳です。

特に自然栽培では一般的な栽培に比べ収量が激減する、とかいう話も聞いてましたから、実際にはどうなのかな?なにが収量を決める要因なのかな?を明らかにするかは重要な課題だと思ったからです。

 

もう一つ、窒素にテーマを設定したのにも理由があります。

生産現場でも重要で、農学としても重要なテーマに、

肥料をまったく投入しない自然栽培を継続すると理論的には収穫による元素のマイナスだけが累積して、土壌養分が徐々にゼロに近づいていく=生産性がゼロに近づいていく、のじゃないか?

という懸念があります。

で、元素といっても窒素以外にリンとかカリウムとかマグネシウムとかカルシウムとか、その他もたくさんあるのですが、必須三元素と言われているのが窒素、リン酸、カリウムで、特に稲の場合は窒素の貢献は大きいのです。

なので、他の元素も重要だけれども、とりあえず窒素を優先して明らかにしよう、ということにした訳です。

 

≪まぁ無理だよと密かに言われつつ≫

そんなこんなで、なんとか博士論文のテーマや研究計画を用意して、入学試験を受けにはるばる寒い二月の東北まで行きました。入学試験といっても、今は博士課程に進む学生が少ないので地方大学だと相当なパーでない限りは受かる儀礼的なものですが。

三十分くらいのプレゼンと質疑応答を終えて、着慣れないスーツをトイレの個室で脱ぎ捨ててラフなパーカーをかぶった頃、先ほどまで面接官をしていた教員二人がトイレに入ってきたのが声で分かりました。

トイレの個室に私がいるなんてことは露ほども知らずに、先ほどの私の面接の感想などをお互いに話してました(鈍感だなぁ)。

そして、立ちションをしながら、

「いやぁ、あの大きなテーマで三年で卒業できますかなぁ。」

「ま、無理でしょうな。うん、無理ですよ」

という会話が聞こえてきたので、私はトイレの個室の中でパーカーを着る手を止めて、自分のオーラを消していたものです。気付かれるのも色々めんどくさいですからね。

で、結論からいって、それから三年後、私は予定通り自然栽培をテーマに博士号をとったので、何百人もの学生を見てきたはずのおっさん達の見込みはあんまり当てにならないんだなぁ、と思う今日この頃なのです。

ま、言いたいのは、それくらい自然栽培っていうのは学問の世界だとよく分からない怪しいものだし、それを科学的に証明するっていっても、無理だよ、と思ってる人が大半、ってことを書いておきたい訳です。

ところがところが、その後いろいろと状況は変わってきたりして、面白い展開にもなったので、そこらへんはまた今度書こうと思っています。