おコメ博士の闇米日記

オワコンと言われがちな日本のおコメ。令和のこの時代に、グローバル視点で日本でおコメを作る意味を考えます

国際稲研究所のIRRIのこと(2)日本人研究者と外国人研究者の違い

前回の記事で、フィリピンのIRRIに留学した時のインド人との関わりなんかを少し書きました。

mroneofthem.hatenablog.com

 

さて、外国である程度暮らすとなると、外国の日常生活が体感できるので、日本人と外国人の違いが感覚的に理解できるようになったりします。グローバル社会と言えど、やっぱり民族の気質みたいなものは未だに大きく違いますからね。

で、私の場合は国際的な研究機関にいたお陰で、日本人研究者と外国人研究者の性質がかなり違うってことが体感的にわかるようになりました。

握手をしているビジネスマンのイラスト「日本人と外国人」

「外国人研究者といっても、国もタイプも色々あるがな」という話なんですけど、少なくともIRRIにいる研究者達と日本国内の研究者ではずいぶんと違いがあるような気がします。

たぶん性格的な問題なので、他の業界でも共通点があるのでは。

ということで、独断と偏見で日本人研究者の特徴を書いてみます。

 

まず第一に社交性

日本人はバリバリないですね。そもそも日本に社交文化がたいしてないし、研究者なんて世の中と全然触れなくてもやれちゃうので、社交コミュニケーション能力が著しく低いと感じます。

私が驚いたスペイン人研究者は、最後のお別れの日、食堂のおばちゃん達ひとりひとりと別れの挨拶を交していて、食堂関係者だけで一時間くらいしみじみと別れを惜しんでいましたよ。

それは社交性がある方の日本人でもまず無理でしょう。。。

なんか、特に欧米人は空気を吸うように社交が出来る感じなんですよねぇ。。。

 飲み会が苦手な人のイラスト(会社)

第二は、社交性とも通じるでしょうけど、協調性

協調性は日本人にはある、と思いがちですが研究業界では割とその逆な感じがします。そもそもIRRIの研究は、分業制がえらく進んでいてチームで仕事を進めるので、協調性がないと不可能です。

日本も、主要研究機関はもちろんチームで進めていますが、分業の程度はIRRI程ではないですね。研究者もある程度サンプリング現場に立ち会ったり、植物の観察が重要だとする文化があります。

IRRIだと、私の知る限りは研究者は圃場に出ることがほんと少ない感じでした。

栽培管理は栽培管理係、サンプリングはサンプリング係、実験は実験係、分析は分析係、みたいな感じで分業作業なので、研究がまとまるスピードがえらい早い。

だから論文の作成能力なんかもベラボウに高くて、同じ博士課程の学生でも一年に二、三本の論文を書いていたりしました(日本だと農学分野では年一あれば平均以上だと思います)。

近年日本の科学論文の生産量が世界と大きく差をつけられてることが話題となってますが、農学の世界でもその遅れをとっている感はひしひしと感じますね。

会議のイラスト(男女混合)

第三は、細やかさ

もちろん外国人にも繊細な実験が得意な人はいるんですけど、日本人の手先の細かさや神経質レベルな実験への気遣いは、平均的に高いと感じます。グローバルレベルでかなり高いと思います。

外国人の皆さん、全体的に実験かなり雑、と感じちゃいます。

ただ雑でも問題ないような実験システムを作るってことに重点を置いている感じ。

日本人だと個人の繊細さを高めることで良い実験が出来てしまうので、ある種システムを作ることを軽視しているような気もしなくもありません。

緻密で根気のいる実験や作業なんかは、なにかと日本人は得意です。

研究・科学実験のイラスト(男性)

そんな風に、外国の研究機関にいくと日本の研究機関を客観的にみることが出来るようになったりして、視野が広がる、と思います。

また、IRRIは稲の研究所としてはメッカ的存在な訳ですが、論文生産を可能にするシステムはすごく発展してて日本が太刀打ちできないとは思うんですけど、植物を観察する力だったり、一つの現象を穴があくほど見て思考を深めていくっていう作業がまったくないような気がして(私が見た限りでは)、それってホントに現場に還元できる学問になるのかなぁと結構おもいました。

まぁ日本の農学も今はそんな感じ(研究のための研究)になってしまい、なおかつ論文生産力も衰退してきているのですが。

そんなこともあって、IRRIに行ったことは、農学そのものを根本的に考えるようになったきっかけでもありました。