おコメ博士の闇米日記

オワコンと言われがちな日本のおコメ。令和のこの時代に、グローバル視点で日本でおコメを作る意味を考えます

農学博士の僕が自然栽培のいいところを3つ紹介します。

種をまいて収穫物を得る、っていうシンプルにみえる農業ですが、実は同じ農業でも色んな考え方があって、「とにかく資材を投入して単位面積当たりの収穫量を最大化しよう」という考え方もあれば、「まったく資材を投入せずに、ほおっといて実ったものを収穫しよう」、という考え方もあります。

そもそも土も太陽光も使わず完全閉鎖型でやろう!って考え方もありますからね。

ホントに色々。十人十色です。

植物工場のイラスト

さて、そんな色々ある農業の考え方の中で、肥料や農薬は投入しないけれど、それ以外の管理は積極的にやるよ、という「自然栽培」という考え方を私はいいな、と思っているのですが、そう思うにはいくつかの理由があります。

今回の記事では、私が考える自然栽培のいいところ3つをピックアップして書いてみました。

 

1)ボトムアップ型の技術である。

既存の農業には環境問題や持続性の観点で問題があるため、新しい農業の開発は世界中で行われていますが、そのほとんどが農業試験場や研究所・大学で開発されているものです。

研究機関での農業開発は、確かに一つずつ理詰めで考えデータを積み重ねているので、一般的に理解されやすいメリットがあります。

しかしその反面、農家さんが実際に生産を行う農地は条件がバラバラで、研究所内で行われた単純な試験とは状況がまるで違い、特定の農法が思ったような成果を得られないことは結構あります。

お勉強はできるけど、実社会では通用しないエリート、みたいなそんなイメージです。

社会の荒波のイラスト

一方、自然栽培はどうでしょうか。

少なくとも私が関わってきた自然栽培(自然栽培にも色々ありますが)は、青森県弘前市の一農家である木村秋則さんが独自に研究・開発してきたもので、ゴリゴリの現場上がりの農業です。

ここ最近では、自然栽培をやろうという動きが全国的に広まっていますが、そのほとんどが現場の生産者に支持されていることが端緒となっています。

決して大学や研究機関がトップダウン型で「やれ!」と言っていないのです。

一部、県や農協や大学が連携していることもありますが、それはある種生産現場の熱さがあった上でのこと。なので、やはり自然栽培はボトムアップ型の農業だということが言えます。こういう農業の広がり方は世界的にもとても稀有です。

私も農業やるなら、デスクワークが多くて理屈ばかりをこねる研究者や行政の人の意見よりも、現場にずっと出ている生産者の人の方を信用しますよ(人にもよるけどね。立派な研究者も勿論います)。

畑・田んぼを耕す人のイラスト

2)環境への負荷が最も小さいと推測

この点は自然栽培という農業の科学的検証事例が少ないために、十分な科学的エビデンスが薄く、反論を受ける点ではあります。が、温室効果ガスの排出源である肥料を投入しないことや、地下水の富栄養化につながる投入資源量がそもそもないことから、環境への負荷が小さいと考えるのが一般的です。そもそも肥料や農薬を使わないことは、それら農業資材を生産するために消費される莫大なエネルギーコストを削減することでもあります。

もちろん、自然栽培でも農機を使う以上、石油エネルギーには依存していますし、耕すことによって農地からの温室効果ガスも出るので、絶対的に正しい農業ではないですが、相対的に考えて環境負荷が小さい、ということは言えるでしょう。

そもそも農業は人為的なものなので、なんらかの自然破壊はしてますからね。

自然栽培が環境への負荷がどれくらい小さいかは、様々な研究機関により多角的・長期的な研究をすることが望ましいところです。

3)面白い、楽しい、美味しい。

最後ですが、これが私が一番自然栽培を推している理由です。

2)で述べたように、いくら自然栽培が環境への負荷が小さく、また食品としての安全性が高い、とか、エネルギー依存度が低くなる、という相対的な正しさをもっているにしても、その方法が辛く、つまらなく、美味しくなければ、決して広がらないし、継続しないでしょう。いくら正しくても、満員電車はつらい訳です。

満員電車のイラスト

しかし、自然栽培はその逆です。

まず、肥料や農薬に頼らず農業をやるとなれば、そのぶん田畑にいき作物を観察する必要があります。いま、作物はどんな状態で、どんな環境が整えば喜ぶのか?

どうやって、その環境を整えるのか?

肥料や農薬を使うこともできるのに、あえて使わない訳ですから、より高度で知的なゲームです。これは面白い

ゲームに熱中している男の子のイラスト

そして、自然栽培に取り組む人たちは変人ぞろいです。

なにせ、99%の人が普通に肥料や農薬を使ってる訳ですからね。

そんな中で、あえて自然栽培をやるのは、なんらかの正しさの価値観を持っているか、挑戦や面白いことに敏感か、すごい人が自然栽培をやってるのでそれに影響されたか、何らかの普通ではない点があります。言われたことをそのままやってる人は、今の時点では自然栽培をチョイスしません。

なので、自然栽培の勉強会などにでると、その個性の多様さには驚かされます。そして、多くの魅力的な人がいるために、そんな人たちと一緒にどうやってこのゲームをうまく攻略するかを考えるのは、とても楽しいことです。

楽しい飲み会のイラスト(私服)

一方で、いま政府が推し進めている大規模化や効率化は、生産性の改善という意味では短期的には現状よりベターですが、その背景にはなんとか生き残る、という苦しい台所事情が見えます。そもそもグローバル経済の下での日本農業は、生産効率的にとても厳しいゲームなので、例えグローバル化が現実であったとしても、TPP反対!と願い続けなければいけません。

そういう苦しい所に、新しい風はなかなか吹きません。苦しい感じがしますからね。

必死に祈る人のイラスト(男性)

その点、自然栽培は「生産性」のゲームを本質的に変えてしまう面白さがあります。

それは、環境や資源依存度を減らす、という点でも、微生物機能を活性化させる、という点でも面白いし、「世界で必要となっている新しい農業を確立するんだ」という挑戦としても面白く、楽しいのです。

世界のために必要な農業を目指す訳ですから、そもそもの世界の中での競争、という概念は当てはまりません。先に成功するなら成功してほしい、くらいだからです。

もちろん、美味しさも個人的には推したい所ですが、味覚はどうしても主観的なものなので、ここでは述べないことにします。食べてみて自分が美味しいと思った農業をやるのがいいと思いますからね。

 

そんなことで、自然栽培の最大の強みは個人的に3)だと思うので、普及が進み規模が拡大しても、そのことを忘れないことが肝心でしょう。

「楽しい、しかも正しい。」

「面白い、しかも正しい。」

「美味しい、しかも正しい。」

というのが、これからの農業のテーマだと思っています。