奥深き白濁の世界 ー2019年白未熟粒多発事件をおコメ博士が解説―
コメが、濁っている。
記念すべき令和元年、北陸地方のコメが濁りに濁っている。コメドコロ、新潟に至っては1等米比率は去年の79.7%から急落、33.1%にまで落ち込んだ(10月末時点)。
等級が下がってしまった理由の約7割が「コメの白濁」のため、単純計算で例年の倍近いコメが白く濁っていることになる。
一体、おめでたいはずの令和元年にコメの身に何が起こっているのか?
この「コメが白く濁る問題」をテーマにポンコツな修士論文を書いたワタクシが、独断と偏見を交えながら”濁り”のない心でこの問題を解説してみたい。
なぜコメが濁るとダメなのか
芸能界はガンジス川より濁っている
— デーブ・スペクター (@dave_spector) July 20, 2019
そもそもコメが濁るのは問題なのか?と思う人も多いかもしれない。
デーブ・スペクター氏によれば、昨今の芸能界はガンジス川よりも濁っているらしいし、だったらおコメだって、濁ったって減るもんじゃないだろう、といいたい所。
ところがコメの濁りはコメ農家にとって死活問題なのだ。
なぜなら濁ったコメはコメの値段に直結する。「濁り」は「農家のお財布の濁り」を意味するのだ。
コメの濁りがもたらす現実がなにかを知るために、ここでちょっとコメ農家になりきって、コメの値段が決まる過程を追体験してみよう。
※※※※※
季節は秋、収穫作業が終わってフウと一息ついた貴方は、乾燥と籾摺りを終え綺麗に袋詰めされた米袋をうっとりと眺めている。
「いやぁなんやかんや言いつつも、米を作るってのはいいもんだよ!」
と一人満足して悦にはいっていた丁度その頃、貴方の大事な米袋に刀のようなものでブスっとひとつき刺す不届きものが現れる。
ブスリッ!
や、やめろ~!
と言いたいコメ農家の心の声もどこ吹く風、作業服姿のサムライの動きが止まることはない。次々とコメ袋に刀を刺し、コメを採集してジロッと鋭い視線でコメに睨みをきかせている。
そう、その名も彼はコメの等級検査官(正確には”農産物検査員”という)。
肉をA1やらA5やらと格付けするように、彼もコメを一等、二等、三等、規格外と冷徹に格付けする有資格者なのだ(詳細は以下URLの基準を参照してほしい)。
検査員がシビアにコメのランクを判断するこの時、「コメの濁り」は大きな意味をもつ。
なぜかというと、濁ったコメは完全なコメとして扱われない。いわゆる不良品だ。
完全なコメが7割を切れば、コメの等級は1等から2等へ格下げ。そして当然、等級が下がればコメの価格も下がるのだ。
たかが濁りだがされど濁り。だからコメの濁りは決して軽視できないのである。
(濁ったコメは、炊飯する時にうまく糊化しにくいので食味が落ちる研究報告があるから、濁りで等級が下がるのは理解もできるけどね)
「濁る」とは
ここでちょっと話題を変え、ワタクシの個人的な経験を語ってみたい。
僕が農学部三年生の時、所属したのが作物機能形態学研究室だった。
サクモツキノウケイタイガクケンキュウシツ、、、というなんとも堅苦しい名前がついているだけあって(?)、SEM(セム)やTEM(テム)と呼ばれる仰々しい電子顕微鏡が研究室にはおいてあった。
この電子顕微鏡という研究機器はなかなかの優れもので、例えばコメ一粒を観察しようと思えば細胞に蓄積したデンプン一粒すら明瞭に観察することが出来る。
小学生が理科の授業で使う光学顕微鏡とは比べ物にならないレベルだ。
とにかくウチの研究室は、デンプンを観察することに命をかけていた。コメ、イモ、ムギ、炊飯米・・・と、デンプンと名のつくあらゆるものが研究対象となったのだが、ちょうどワタクシが研究室に入った2010年頃、このコメの「濁り問題」が大きなホットトピックになっていたのである。
というのも、2010年も今年と同じように、コメの白濁が多発した特別な年だったからだ。
この年も、新潟の一等米比率は過去最低と散々だった。
というのも、新潟は8月の平均最低気温が25.9度と過去最高で、ヒジョーに暑かった年である。
そう、何を隠そう、この夏の暑さとコメの濁りには強い関係性がある。
出穂後の高温が特に濁りを誘発することから、この問題は「高温登熟」問題として、特に2010年には重要性を再認識される年となった。
さて、丁度そんな2010年ごろに、卒業論文のテーマを決定しなければいけなかったワタクシは、地味~な研究テーマには目もくれず、ホットトピックスに飛びついて、この「コメの濁り問題」をテーマにすることになる(結果4年間このテーマで研究をした)。
早速、コメの濁りとはデンプン蓄積的になにを意味するのか?を明らかにしようと、研究室お得意の電子顕微鏡を使って、透明なコメと濁ったコメの両方を観察してみることになった。
では早速、濁っていない通常のコメ粒をカミソリでカットし、断面図を電子顕微鏡で観察した写真をみてみよう。
これが、僕らが食べているコメの正体だ(炊飯する前のネ)。
難しい話ははしょるが、角ばった一つ一つがデンプンと思ってもらっていい。凹凸やヒビがあるようにも見えるけど、これはカミソリでカットした時にできてしまうもので、観察の下準備の際に生じてしまうものだ。
ミッチリつまったテトリスみたいに、透明なコメではデンプンがみっちり詰まっていることが分かる。
一方、コメが白濁化している部分はどうだろうか?
先程の写真と比べながら、濁った部分のデンプンの蓄積構造をみてほしい。その様子がコレだ。
うげっ、気持ち悪い!
と思った人もいるかもしれない。これがコメが濁っている部分の正体なのだ。
先程の透明なコメの構造に比べると、形が丸っぽかったり、サイズがバラバラだったり、とデンプンの形が安定していない。これが、いわゆるデンプンの蓄積異常と呼ばれるものだ。
こんな風に形が不均一だと、デンプンとデンプンの間に多数の隙間が生じる。こういう場所では、空気の隙間で光が乱反射してしまう。それで、僕らの目には「濁って」見える訳だ。
反対に、透明なおコメでは空気の隙間がないから、光は乱反射せず、透明に見える、って訳。
コメの濁りの正体は、こんなデンプン蓄積の異常が生じることによって起きるのだ。
「濁る」メカニズムのおコメ博士的見解
コメの濁り=デンプンの蓄積異常なのだが、ではなぜデンプンの蓄積異常が生じるのだろうか?
この答えは、実は簡単ではなく、様々なパターンがあるし、2019年現在でも完全に解明されたとも言い難い。コメの濁り研究の全体像を知りたい人には、2011年のちょっと古い本になってしまうが、この本をお勧めしたい。
この本では、先程の電子顕微鏡によるデンプン蓄積構造の観点も含め、様々な種類の濁りについても総じて解説がなされている。
なにしろ、濁る部位がコメの腹側なら腹白粒、背側なら背白粒、基部なら基白粒といったように、濁ったコメにもかなりの種類があるのだ。
で、それぞれの濁り方もメカニズムが違う、という奥深さ。実際研究者たちも、「コメの濁り」というような大きなテーマは設定しない。「腹白粒の○○○について」といったように、特定の濁り方に焦点を当てるのがフツーなのだ。
コメの濁り問題の研究は数多くなされているので、一つ一つの研究成果を解説したいところだが、その量はあまりに膨大なので、ここからはワタクシの独断と偏見で個人的な見解を書いてみたい。
ズバリ、ワタクシ的な考えでは、コメが濁るメカニズムには大きく2つある。
1つは、デンプンの元となる光合成産物が足りないパターンだ。(原資がない、という意味で「貧乏パターン」と名付けよう)
デンプンは、葉っぱが頑張って光合成してできたものが、葉からコメ粒に運ばれ、その光合成産物を元に様々な酵素が働いて作られる。が、当然、光合成によってできたものが少なければ、合成できるデンプンも少なくなる。
例えるなら、パン工場に原料となる小麦が少ししか運ばれてこなければ、できるパンも少なくなる、というようなものだ。(コメの説明にパンを使うとはね。)
だから、光合成が大したことないのにコメ粒の数がたくさんあると、一粒のコメに流れこむ光合成産物が少なくなって、デンプンを作る原料が足りない!という事態になるのだ。
最近の流行りでいうと「身の丈に合った」粒数にしとかないとネ!ということだ。
余談はさておき、もう1つは、せっかく合成されたデンプンが分解されるパターンだ。(原資はあるけどお金が残らない、という意味で「金持ち散財パターン」と名付けよう)
米の中には、デンプンを作る能力もあるが、デンプンを分解する能力も秘められている。なぜなら、コメは種だ。
種が発芽する時、デンプンが分解され発芽のエネルギー源となる。この時にデンプンがデンプンのままではエネルギー源となれないため、アミラーゼという酵素が働き、デンプンが分解されるのだ。
通常このデンプンが分解される動きは、発芽の時に発揮されるものだが、あまりにも高温状態であると、アミラーゼが活性化してしまう。
そうすると、せっかくキッチリとデンプンが合成され、細胞の中にデンプンがミッチリと詰まっていたのに、その構造が壊れてしまう訳だ。
このあたりは、新潟大の三ツ井敏明先生らのグループが行った研究がとても優れていると個人的に思う。Plant Physiology(参照1)とPlant Biotechnology Journal(参照2)に掲載された論文は、極めて理路整然としていて、学生時代は喜んで何度も読んだものだった。
これからコメの濁りをテーマに研究する人には是非よんでもらいたい論文である。
↓研究の全体像をまとめたもの(日本語)
(参照1)高温状態でコメが熟したとしたら、具体的にデンプン合成のどういう経路が影響あるんかいな?という論文。特にFig.8は必見。
Comprehensive Expression Profiling of Rice Grain Filling-Related Genes under High Temperature Using DNA Microarray (2007)
http://www.plantphysiol.org/content/144/1/258
(参照2)アミラーゼ遺伝子をとある方法で働かない状態にしたら、やっぱり濁るコメは少なくなったYO!やっぱ濁りの原因はアミラーゼやないか!という論文。
Suppression of α‐amylase genes improves quality of rice grain ripened under high temperature (2012)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/j.1467-7652.2012.00741.x
濁らせないコメ作りとは
さてさて、コメが濁るメカニズムについて、理屈っぽいことを長々と述べた。しかし忙しい生産者にとって最も気になるのは、メカニズムよりも、「結論どうすればいい!?」ということだ。
期待をもたせておいて後でガッカリさせないために、おそるおそる、誠実に結論から言っておこう。
言い切れることは、2019年時点でも絶対的な解決策は存在しない、ということだ!
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
(長々かいてきてそれかよ!と思った諸君、だって、そんなんあったらみんな既に取り組んでるじゃん・・・。ニュースになるってことはそういうことなのよ・・・)
とはいいつつも、一応、現場レベルの対策として、主に二つが挙げられているので紹介したい。
一つはかけ流し灌漑をすることで圃場の温度を下げること、もう一つは田植え日をズラして出穂期をなるべく涼しい時期に当てることだ。
方法の理由については、シンプルなので改めてする必要もないだろうが、①はとにかく冷水をかけ続けることで稲穂周辺の温度を出来る限り下げることだし、②は出穂する時期が猛暑日よりも遅れるように逆算して田植え日を変える、ことである。
基本的に平均気温27度以上にならなければ、濁りもそう多発しない、と言われているからね。
しかしどうだろう、新潟の1ha以上はザラにある、あの何百枚もの田んぼでかけ流しが出来る枚数とは一体何枚あるのだろう、と。
自分の田んぼでだけ水をじゃんじゃん使えば、コメの「にごり」はなくなっても、ご近所同士の「しこり」が残る気しかしないのはワタクシだけだろうか(ウマイザブトンイチマイ)。
それに比べると、作期をズラして出穂期をズラす、方法の方がまだ現実的だとは思うけれど、一体どれくらいズラせば問題がないか、この異常気象が日常となった時代に、読み切れる人が何人いるのかも大きな疑問である。それに加えて、作期を大きく変えると他の農作業オペレーションに弊害も出るしね。
そのようなリスクを考えると、新品種開発にかかる期待は大きい。
実際、「にこまる」も「てんたかく」も「ふさおとめ」も高温登熟に耐性がある、つまり白濁しにくいおコメとして評判が良い。
近年は品種育成の時間も短くなってきているので、育種研究グループにかかる期待は大きいだろう。
あと農家にできることといえば、適切な「粒数管理」だろうか。白濁のメカニズムの①で述べたように、「貧乏パターン」は光合成能力に対して粒数が多すぎるケースで起こるので、収量を欲張りすぎないでそこそこの粒数で我慢しておくことは、濁りを減らす一つの対策になるとは思っている。
まとめ
話がアチコチにいってしまった。記事を終える前に、ココで簡潔にまとめてみよう。
1.コメの白濁は、ずばり「デンプンの蓄積異常」である。
2.デンプンの蓄積異常にはいくつかのパターンがある。おコメ博士的には以下2つが重要。
①貧乏パターン デンプンの元となる光合成産物が足りない
②金持ち散財パターン せっかくデンプン作ったのに分解しはじめちゃう
3.白濁回避には「身の丈にあった粒数管理」と「高温さけろ」の二択
4.「高温さけろ」にはA.かけ流しか、B.作期ずらしか。
5.といっても生産現場的には中々難しい。品種に期待?
といったところだろうか。
たかが一粒のおコメに現れるちょっとした白濁だが、こんな風に様々なメカニズムが働き、人間たちを右往左往させていている。
「一寸の虫にも五分の魂」じゃないが「一粒の米にも百の人生」というものだ。
こんな風に、「コメが実る」という極当たり前の現象も、細胞内のデンプン合成・蓄積という細かな世界にまで好奇心を巡らせれば、宇宙のような壮大なメカニズムが潜んでいるものだ。
そしてまた、こんな数mmの白濁のメカニズムを解明しようと、日夜研究者達が地道に研究を続けていることも最後に申し添えておきたい。
ご飯を口に運びながら、そんな背景に思いを馳せるのがワンランク上のおコメ愛好家というものだ。
自己紹介#4 東京でも僕は「なにか」を見つけられなかった
2007年春、僕は大学生になった。
僕が入ったのは、明治学院大学の文学部(映画専攻)という所なんだけど、進学先にソコを選んだワケ(他にも中央大とかに落ちたから行ったってのもあるのだけど)は、いかにも人生をよく考えていない高校生の理由だった。
明治学院大学文学部芸術学科に進学したワケ
1.勉強しなくても入れそうだった
2.東京に校舎があった
3.好きな映画に関わる勉強だった
というだけ。なかなか世の中をナメている若造だ。
東京に行けば何かやりたいことが見つかるんじゃないかと僕は安易に考えていたんだけど、いざフタを開けてみると、明治学院大は確かに東京白金台に校舎があったのだが、1・2年生は横浜戸塚の山の方にある田舎じみたキャンパスに通わなくてはいけないのだった。
そもそも東京に行けてねぇ!orz
つまり、僕は大学キャンパスの所在地すら知らなかったし調べてもいなかったワケ。自分でもガックリくるくらいのヤル気のなさだ。
高校生から実家を出ていたから一人暮らしの解放感もなく、青春を傾けた激しいサッカーの義務からも解放され、授業に出さえすれば単位はもらえるイージーな大学生活だったから、気の抜けた炭酸のような大学生活がはじまっていた。
さすがに何かをやろうと思って、バイトは色々した。
セブンイレブン、警備員(超体育会系の帝国警備で)、山崎製パン(当時評判が悪かったので敢えて)、倉庫仕分け作業、ティッシュ配り等々、大学生があまりやらなさそうなバイトを選んだ。その理由は、お金が必要だったというより大変な仕事の経験をしたかったから。やる気はなかったけど、「知りたい」っていう知的好奇心はあったワケね。
それらの経験は社会の側面をみるいい機会になったけれど、いくらバイトをやったって、じゃあ自分が何をしたいかを見つけることは出来なかった。
無情にも時間は過ぎていき、僕は大学二年生となり、研究室がどうだとか、就職がどうだとかいう話もチラチラ聞こえはじめてきて、僕は焦りはじめた。
「このままなんとなく就職していいのだろうか?」
よくある大学生の話だけど、例にもれず僕もそう思ったワケ。なんというか、私立文系の就職先って本当にツブシがきかなくて、学生時代に映画を専攻していたのに、就職先は銀行、旅行会社、航空会社、公務員、教育委員会とか、そういうことがフツーだったんだよね。なんのために大学いったの?みたいな。
だから割とすぐに、「このままなんとなく就職していいのだろうか?」という問いに僕はNOという答えを出すことが出来たんだけど、「 じゃあ何を?」という答えにはまだまだ答えることが出来なかった。
だから、あの時は自分の人生とこれからの社会について一番考えた時代である。
もちろん本や新聞を読んで情報を摂取したりもしたんだけど、大して人にも相談せず、一人で必死になって考えていたという気がする。あの時が、僕の船の針路を変えるターニングポイントだった。
結論、僕は「農業」を選んだワケなんだが、その結論に至るまでに色々な可能性を考えた。
僕の思考の特徴として、中長期的にモノゴトを考える所がある。なぜかというと、今の時代世の中の変化のスピードが速いので、短期的には状況があまりにも刻刻と変化してしまう。それでは、自分のスタンスを決めることが難しいし、大きな流れに翻弄されてしまう。フラフラしていれば、知識や経験も積み重ねることが難しい。だから中長期的、少なくとも10年くらいのスパンで取り組むべきことを考えていた。
僕は割と自信家なので、ゼロから何かを始めても追いつけるという根拠のない自信をもっていた。 だからどんな業界、どんな仕事、どんな技術や能力を身につけるべきかを、ゼロから考えた。
それこそITなのか、金融なのか、芸術なのか、モノづくりなのかっていうくらいにゼロから。
で、次のような条件で僕は自分が飛び込む業界を選ぼうとしていた。
1.自分が楽しさを感じれそうなもの
2.産業自体が数十年継続しそうなもの
3.そこそこは食えそうなもの
それで、僕は農業を選んだワケなんだが、「農業が絶対的な答えだ!」という訳でもなくて、他の業界と比べたら相対的に農業がいいんじゃないのかなぁ~という感じ。決断としては大きな決断だったのだが、「ゆるふわ」といえば「ゆるふわ」な決め方でもありました。
ということで、自己紹介シリーズ第4編はここまで。自分でやろうと思ったくせに、なかなか疲れてきましたが。とりあえず次回は20歳くらいの僕が飛び込む世界として農業を選んだ理由ももう少し詳しく書いてみます。