おコメ博士の闇米日記

オワコンと言われがちな日本のおコメ。令和のこの時代に、グローバル視点で日本でおコメを作る意味を考えます

農法間の不毛な争いは辞めにしない?

農業に馴染みがない一般の人からすると何のことやらと思うかもしれませんが、農業は農業でも、「農業のやり方」における争いは非常に熾烈だったりします。

喧嘩をしている子供のイラスト

慣行農法と有機農法の間しかり、有機農法の自然農法の間しかり、自然農法と自然栽培の間しかり。

私も大学院生になって初めてその世界に入り込んできましたが、少し思い返しただけでも様々な批判の応酬がありました。

 

攻撃パターン1)慣行農法→有機農法や自然農法

「そんなんで世界の人口分の食糧を養えるか!」

攻撃パターン2)有機農法→自然農法

「外部から養分いれずに永続的な生産が出来る訳がない!」

攻撃パターン3)自然農法→有機農法

「外部から持ち込んでいるそんな栽培は自然農法ではない!」

こんな風に否定・批判の攻撃パターンは多種多様。今度この攻撃パターンについてもまとめてみましょうかね。

ダメージをくらう人のイラスト

さて、農法における争いの類は様々ですが、特定の農法へのこだわりが強い程、それ以外の農法を否定したくなるのはきっと人間の性というものなのでしょう。

民族問題しかり、宗教問題しかり、政治問題しかり、似たような構図の現象は起きてますからね。

ただ、争いが人間社会の常とはいえ、ただでさえグローバル社会の中で厳しい立場になりそうな日本農業界の中で、しかも有機農業面積は0.2%という「こだわる農業」が圧倒的にマイノリティの状況の中で、マイノリティ同士で潰しあうことの意味を考えちゃったりします。

男性の表情のイラスト「疑問」

そもそも農業の世界は、50歳でもはなたれ小僧と呼ばれる老舗業界。そんな業界では、現在29歳の私はまだ生まれてもいない受精卵といったトコロ。

そんな立場からすると、農業のなにかを分かったような顔はとても出来ませんが、世界を知らない純真無垢な子供の目線で言うとすれば、「もっとエネルギーを注ぐべきトコロはあるのじゃないだろうか?」と思ったりはする訳です。「敵はそこか?」とも。

というのも、その熾烈な否定・批判の末に相手の考えが変わったり、なにか生産的な議論が生まれたり、っていうケースを見たことがないんですよね。

砂漠のイラスト(背景素材)

もちろん個人がもつこだわりは自由だし、こだわりは捨てるよりは持っていた方が良いと思うのですが、それを絶対視して排除の論理を持ち出すと誰も幸せにならないような気がしたり。

そもそも若い人からすると、どんな農法であるかより、その農法をやっている人達に魅力があるかどうか、の方が重要だったりしますからね。

理屈は後からついてくる、のかもしれません。

少なくとも今日本でマイノリティな農法に取り組んでおられる方達は、既存の農法に対して何らかの問題意識をもっている点では共通してるはずなので、否定よりは協調、領域侵犯よりはお互いの領分を守る、ような態度の方が生産的だと思っている昨今です。

まぁ、自分の領分まもってるだけでは何も変わらない、という意見も分かるのですが。