石油の上に浮いている日本農業(立花隆著『農協』より)
立花隆著の「農協」は名著です。
ホントは一冊全体の読書感想を書こうとしてましたが、あまりにも濃厚で情報のボリュームも大きな本のため、一章一記事で丁度いいくらい。
という訳で、今回は第十章の「施設園芸だけではない日本農業の石油づけぶりと、日本最大の石油販売業者になった農協」について紹介します。
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以前、日本農業は石油頼みの構造であるという記事を書きました。
農業関係者の農業論では、石油エネルギーのことについて触れているものが少ないと思うのですが、立花隆さんがこの点についてキッチリ書いていたので嬉しくなりました。
しかし、彼の分析と文章を読んだ後に自分のブログを読むと、中身の薄さに恥ずかしくなりますね (*_*;
さて、では立花さんの名文を引用しつつ内容を見ていきます。
≪石油漬けの施設園芸≫
石油と農業というと、一見関係があまりなさそうに思われるかもしれないが、実はそうではない。日本農業はしばしば “石油の上に浮いている” といわれるほど、石油なしには立ちゆかない構造になっているのだ。
石油づけの農業の例として紹介されるのが青森県八戸市のガラス温室野菜団地。
二億六千万の大型施設園芸だが、国・県・市の半額以上の補助と、農家の自己資本+融資で建てられたのだ。
冬の平均気温が-3.5℃の青森でトマトとキュウリの促成栽培を実現するには、石油をたいて加温する必要がある。加温量は外気によって左右されるから、当然寒冷地ほどコスト高になる。
それでも当時「施設園芸集中管理モデル団地設置事業」という名目で国が施設園芸を積極的に支援していたのは、生鮮野菜の需要が高まっていて、冬でも安定供給できる施設園芸が有望だ、ということで白羽の矢がたったわけだ。
ところがところが、この施設園芸団地の計画がたった翌年の1973年にオイルショックが起こり原油が1.7倍に高騰、その翌年に原油価格は更に2.3倍になったのである。
いやはや何というタイミング。
昨今日本では仮想通貨の投機のニュースで忙しいが、石油の暴騰はもっと恐ろしい。
当の園芸組合の組合長は、
石油がこなかったら収穫もない。温室もつぶれて、何千万という借金だけが残ることになってしまうんです。そんなことになったら、どうしたらいいのかわかりません。死ぬしかないんじゃないですか。
と語ったそうだ。みな、有望な事業だといって莫大な借金を背負ってこの施設園芸に乗り込んできていたのである。
石油がいつでも安く使える、という前提が国も生産者も見誤っていた訳だ。
ちなみに、現在も農水省は次世代施設園芸拡大支援事業という長い名前の事業を行っているが、今回は、化石燃料からの脱却を目指し、木質バイオマス等の地域資源のエネルギーを活用していこう、という方向性だ。
≪施設園芸に限らない石油漬けの日本農業≫
ご覧のように、1978年度のデータでは日本国の石油総消費量は約3億キロリットルで、農業生産はその内の約2%の500万キロリットル。
農業生産に使われる石油の内、加温がだいたい三分の一を占めている。
さて、日本農業の石油依存率の高さについて、立花氏はこう指摘する。
日本の食料自給率が最終生産物で74%、オリジナルカロリーベースで四割だというので大変だと騒いでいるが、実はその四割の生産を維持するために投入されている総エネルギーの八割が石油に由来しており、石油の99.7%が輸入に依存していることを知れば、事態はもっと危機的であることはわかろう。自前のエネルギーで生産できる自前のオリジナル・カロリー・ベースの食糧はわずか十六%なのである。
さて、現在はどうだろうか。エネ庁のデータを見ると、石油依存度は四半世紀で更に高まっている。その値、なんと96%だ。つまり、今の日本で石油なしに生産している農産物は極々わずかでしかない。当然だろう。今となっては、農機なしの農業というのはほぼ想像できない。
さぁ、では肝心のコメはどうか。
ということで、著者が作成した農作物1kg当たりの投入エネルギーの図をみてみよう。
最も石油漬けのトマトの促成栽培に対し、コメは光熱・動力としての直接消費エネルギーは四分の一以下だが、農機具・肥料・農薬(製造される際のエネルギー消費が大きい)を通じてその倍以上のエネルギーが投下されている。
他の作物と比べてみても、コメがいかにエネルギー効率が悪いかが分かる。
ちなみにアメリカのトウモロコシはこの1/10、イギリスのコムギは約1/6ということだ。データはないが、そもそものスケールサイズの違いに加え、技術が進んだ今の時代ならばエネルギー効率の差はもっと開いているはずだ。
日本のコメが、スケールサイズが小さく値段で国際競争力に勝てない、というだけではなく、石油に高度に依存し、国際的に見てエネルギー効率がすごく悪い、というのは、日本でコメを作る正当性に疑問符をつけるものだ。
他方でコメは日本にとって歴史と文化と密接に関わり合い、食生活の基礎となっているが、コメの正当性を高めるにはもっと独自の何かが必要であろう。
それくらい、石油漬けというネガティブ要因は大きいのだ。
日本農業のディストピア④ ―そして辿りつく低コスト生産という結論―
さて、前の3連記事では、北海道農業とは対照的に取り残される日本農業の経緯を、戦後の食糧難時代からコメ余りの時代までを振り返り、更に追い打ちをかけるように、自由貿易の波がコメ業界に迫っている現状を書いてきました。
↓3連記事
今回の記事では、そうしたディストピアな日本農業の現状を政府や行政機関はどう捉え、どこに活路を見出しているのか、を書いていきます。
政府のコメに対する基本スタンスを知る上で良い資料としては、2017年11月に農水省ホームページで公表された以下の資料です。
『米をめぐる関係資料』
では、早速揚げ足をとるような意地悪いスタンスでツッコミながら、資料の中心部分を見ていきましょう。
≫コメの位置づけ
「コメの国内生産は、我が国の食料安全保障、食生活、農業・農村、国土・環境などに不可欠のもの。日本人の歴史・文化とも密接な関係。」と書かれています。
さて、コメに特に思い入れがない合理的な物事の考えをする人にとっては、
「コメの国内生産は不可欠のもの。」
という時点で引っかかる人も多いのではないでしょうか。理由としてはまずコレ。
1)食料安全保障といっても、以前の記事でも述べたように日本農業のエネルギーは完全な輸入石油依存であり、稲作や水田が維持されているといっても食糧安全保障力が高いとは言えない。
2)食生活についていえば、確かに過去を振り返ればコメは日本の主食だったが、戦後はコメの消費量は年々減っておりパン食は増えている。パン美味い。食生活にコメを絶対視する必要がない。
3)全耕作地の半分以上が水田のため面積において農業の中心であることは事実だが、農業生産額においてコメは20%を切った。約50%だった1960年頃の状況とは違い、農業におけるコメのウェイトは大きく下がっている。
と、こんな風に、日本にとってコメというこだわりは捨てない方がいいと思っている私ですら、ざざっとイチャモンをつけることが出来ます。経済方面の人からすれば、農林水産業の国内生産額が現在では1,1~1.2%程度であることにも言及したくなるでしょう。*1
他方で、同意できる点としてはコレ(赤線の部分)。
1)食文化の基礎:文化は経済価値に換算することは難しいですが、韓国にいけばキムチを、アメリカに行けばハンバーガーを、フランスにいけばワインを口にしたくなるといったように、文化は消費の方向性を作ります。日本にきたら寿司を食べたいって人は多いですよね?
2)稲作や水田の有する多面的機能:植林やダムで対応できるという意見もありますが、水田には洪水防止や水資源の涵養といった国土保全の機能があります。
3)日本人の歴史や文化と密接な関係:これまた経済価値という意味ではわかりにくいものですね。ただ物語があるということは、文化を彩り、農業に生産活動以上の意味を付け加えるものではあります。
農業関係者の多くが、1)~3)などの経済価値には換算しづらいが共有できる価値感をもっていますが、農業に馴染みがない人には想像しづらいでしょう。農業をやってみれば分かりますが、いい天気の日に皆で農作業にいそしんでいると、それだけで満足感があったりします。しかし反面、その満足感ゆえに経済価値について無視し、農業が社会にとってどんな役割を果たせるかのアピールを怠ってきたことも事実です。近年経済界から農業界へ向けられる厳しい態度は、ある種そのツケだと言えるでしょう。
≫水田フル活用
一般国民と農業関係者の農業の位置づけに大きな乖離があることは置いておいて、農水省はコメと水田は我が国に不可欠のものと位置付けています。
その強いコメ原理主義思想(私もコメ原理主義ですが)を根拠にして、昨今は水田フル活用という言葉が幾度も聞かれます。
長い減反制度を続けてきた日本農業において、
「あんだけ減反しといて今度は水田フル活用かよ!」
と言いたくもなりますが、2018年から減反廃止が決まった今、大きく方向性が変わろうとしていることは事実です。
≫コメの生産コストを減らそうぜという方向性
水田フル活用を実施するに当たって、生産コスト低減が一つのポイントになっています。その理由は、将来的な輸出に備え国際競争力を高めていくこと。というのも、ご覧のように外国とのコメの生産コストには大きな差があります。
国名に“米”が入るアメリカ(なんでこの漢字にしたの?)の生産コストは日本の約1/7。
そりゃあ経営規模が70倍とかですからね。飛行機で種を播いたり農薬かけたりのスケールです。この比較ではむしろコスト差が7倍程度でおさまっていることに驚きです。
「でも、結局コスト減しても値段で太刀打ちできないんじゃない?」
という疑問はとりあえず置いておいて、ここではどのように低コスト減を実現するのか、政府の考えをみていきましょう。
1)直播栽培:種籾を直接ばらまいていくやつです。育苗と田植えは全作業の1/4と言われているので、直接ばらまけば1/4コストカットできる試算です。
2)多収品種:品種による収量性の違いは大きいので、緑の革命の原理を踏襲し、高収量性品種と多肥栽培によって単収を増やせるはずです。
3)農地集積:ちまちました田んぼじゃなく、どでかい田んぼをドドンと作れば効率よくなるよねってことです。
4)生産資材費の低減:これは大部分が農協問題ですね。農協で買うより、ホームセンターで買う方がよっぽど資材が安い、という矛盾は解決しなければいけないのです。
そして、これらの改革を推し進めるためにICT等の最新テクノロジーを農業に導入していこう、というのが今の流れです。確かにこれらの導入により、低コスト化することが出来ます。今後10年間の目標はズバリ
現状 1万6001円/60kg ➡ 10年後 9600円/60kg です。
なんと40%減!大きく出ましたね。
ところで、コストを下げ単位面積当たりの収量を上げていこう、というこの農業、どこかで見覚えがあります。
そう、それは緑の革命。多収性品種と化学肥料・農薬によって収量を激増させた出来事です。今回はこれにICTがプラスされているくらいかな・・・?
(緑の革命については以下記事参照)
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現在の農政の方向性を弁護するなら、確かに現状よりはベターになる、ということが言えます。経営の意志がなく、農協組合員としてただ作るだけの小農の人には退場してもらい、経営感覚のある農家に農地を集積させる。新しいテクノロジーを導入し、生産効率を改善する。確かに、今までより生産効率はあがり、大規模化することで黒字化できるかもしれません。
しかし国際競争という点ではどうでしょうか。
高収量性品種を導入し、多肥栽培で育てることに秀でているのは大きな農地をもつアメリカやオーストラリア等の大国で、彼等こそそのスケールメリットを享受します。
また、低コスト化のために栽培の効率化をすればする程、日本農業の独自性は薄くなります(そんなものは元々ないと言われればそれでおしまいですが)。
現在の世界の農業の潮流からいっても、資源依存度を高める農業は環境問題にも影響し、持続性が低い農業と言われトレンドから外れています。
日本産のコメは高品質だ、と言いますが、それは果たして本当でしょうか。
生産コストを4割削減し、国際的にも新しくない栽培方法で独自の品質がでるのでしょうか。それほど日本産が無条件に高い価値を生み出すのでしょうか。
その点が大いに疑問です。前回の記事で書いたように、現在は東南アジアでも日本米の生産が進み、その味も決して悪くないのが私の実感です。そして、もちろん値段は格段に安いのです。
生産コストを下げる、ことは好ましいことです。
そのために大規模化やICT導入をすることも、好ましいことです。
ただ、その先にどんな農作物を作り出すのか、どんな農業を実践するのか、というこだわり、ビジョンこそが農地の小さい日本にとっては重要です。
価格や効率では他国にかなわず、エネルギーも枯渇資源に依存しているのが日本農業だからです。
農業には多くの補助金が投入され、高い関税によってコメは守られていますが、日本の稲作にこだわりがなければ、補助金を投入する正当性は失われますし、関税で守る理由も失われます。消費者は容易に「外国産のコシヒカリを食べればいい。その方が安い。」という決断を下すでしょう。
では、どんなこだわりであれば日本で農業を行う意義があるのでしょうか?
どんな独自の価値が日本で生み出せ、国際的な価値を生み出せるのでしょうか?
そのあたりは、日本農業を国際的な目線から相対的に把握することが必要でしょう。
日本農業の短所と長所、それを炙り出すことが、日本独自のこだわりを見つける近道だと思うからです。
と、今回は長々と書きました。日本農業の国際的価値については今度の記事で。。。